シンパパ KENIIの育児・ビジネス・心理学情報局

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今週のお題に初挑戦!テーマは「桜」

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 今週のお題「桜」

 

今週のお題に初挑戦します。

テーマは「桜」

 

さて、何を書こうか、、、

桜、桜、、桜、、、桜と言えば、

 

お花見・歌・卒業式・入学式、、関連ワードが色々出てきますが、

 

入学式のお話をしたいと思います。

 

入学式と言っても私が高校入学時のお話です。

 

以前、このブログでも記事にしましたが

 

私は不登校経験者です。

 

少しだけ振り返ります。

 

中学生時代~高校受験

中学時代に不登校を経験しました。

中学3年生の時に誰でも受かると言われるぐらいレベルの低い高校を受験しましたが、

不合格となりました。

 

自宅学習は得意だったので勉強だけはしていましたが、

それでも不登校の為内申はガタ落ち。

不合格も納得の結果でした。

 

当時、第一志望校の合格発表の時は母親と行きました。

何故かと言うと、不合格になるのが分かっていたので同級生が集まる時間とズラして、

午後に母と二人で見に行きました。

 

私は不合格になる事を覚悟していたので多少のショックはありましたが、やはり母親は落ち込んでいました。

それでもすぐに母親は気持ちを切り替えたのか、帰りの車中では私に気を使って色々と話しかけてくれました。

 

その後、第2志望の高校を受験しました。

第2志望と言っても、中学校に行っていなかったので受験先の高校のレベルが分からず、とりあえず自宅からバスで通学出来る距離の高校を選びました。

 

結果は、、、不合格。

 

これも覚悟していた結果でした。

私は、「定時制の高校にでも通おうかな~」と軽く考えていました。

しかし、別居している父親から連絡があり、高校受験の結果と定時制高校への進学の件を伝えると猛反対にあいました。

 

父は私が不登校であることを知りませんでした。

なので、当然内申点は普通だがテストの点数が悪いために、高校受験を失敗したのだと思っていたようです。

 

予備校へ

定時制高校進学の件で猛反対を受けた後、

私は不登校の事を話す事が出来ず父の言うままに予備校に通いました。

 

予備校に入学してからは、

同じ受験失敗をした仲間が出来ました。

しかし、一つだけ違うのが、

彼らは中学時代にはっちゃけすぎて勉強をしてこなかった。

(一言で言えば、、ヤンキー)

 

当然話が合う訳もなく、、、予備校も4ヵ月で辞めてしまいました。。

当時、母親は何とか私を予備校へ通わせようと必死でした。

しかし、私は頑なに行かない!の一点張りで結局退学へ。

 

そこからは、

完全に無気力状態に。全てにおいてやる気が無くなり、外にも出なくなりました。

しかし、母親が参考書を買ってきてくれて、中学時代と同様に予備校退学後は自宅学習をしました。

 

予備校退学後~高校受験

自宅学習をひたすら行い、運命の高校受験の日。

前年落とされた高校を第一志望で受験しました。テスト結果は、前年の受験よりは多少上がりました。

 

合格発表の日、昨年同様母に車で送ってもらい、

母は車で待機し、私は一人で合否結果を見に行きました。

 

結果は、、不合格。

 

泣きました。予備校を辞めたとは言え、自宅で勉強していたし、

何よりも「高校に行かなければ人生が終わる。」という思いが強かったので、

 

不合格を知った時は、

全てが終わった。と思い涙が止まりませんでした。

 

車中で待つ母親も私の表情を見て結果を聞いてきませんでした。

無言の帰宅。

帰宅後は、しばらくベッドで横たわっていました。

そこから数日間は、

もう自分の人生は終わったんだ。と思い、父にも結果を言えませんでした。

 

第2次志望高校受験

前回の受験から数日後、第二次志望高校の受験先を選ぶ事となりました。

当時の私の気持ちは、

どうせテストで点数をとっても不登校経験者なんて、どこの高校も取ってはくれないという思いでした。

とりあえず、受験先は普通高校でバスで通える高校に決めました。

 

第二次志望校受験の日

第二次志望校の受験内容は、面接のみ。

母に車で送ってもらいました。車中では、母親から「頑張ってね」「○○なら出来るよ」と温かい言葉を貰いましたが、私はどうせ落とされる。

と思い「ありがとう、頑張る。」と一言だけ返しました。

 

受験会場に着くと、多くの現役学生がいました。

私も中学校時代の制服を着て、現役学生に交じって待機所で待っていました。

 

諦めていたとはいえ、

内心は何て聞かれるかな。どうしよう。

と緊張していました。

 

そして私の番へ。

 

 

面接官から「当校へ入学出来たら何をしたいか?」という問いに、

「サッカーがしたいです」と答えました。(不登校だった者とはいえ、本当にサッカーが好きで、小学時代はサッカークラブでレギュラーだったので、やり切れる自信もありました。)

 

そこから家族の話など色々聞かれ無難に返し、最後に

「何故中学時代欠席が多かったのか?」と聞かれました。

 

そこで私は中学時代の事を思い出しました。

正直に答えました。「友達もいたし、イジメにもあっていない。勉強も好きだった。学校にも行きたかった。サッカーがしたかった。だけど体がいうことをきかず、、不登校になってしまいました。」

自分の思いを答えていく内に涙がこぼれ、号泣。

 

面接官からは、「もし高校に入学出来たら、一生懸命頑張れるか?」と最後に聞かれ、泣きながら「はい」とだけ答えました。

帰りの車中では、目を真っ赤にした私を見て母親も泣いていました。

 

合格発表の日

合格発表の方法は、合格者にのみ電話が来ることになりました。

私は確実に落ちたと思い諦めていましたが、自宅に一本の電話が鳴りました。

電話を取ると、「○○高校です。○○君、合格おめでとう。」と言われました。

まさかの合格です。

本当に嬉しかった。続けて先生から、「本当は内申点が低いので不合格にしようと思ったが、面接で○○君の話を聞いて、当校に入学させて中学時代楽しめなかった分も取り返してほしいと思ったので、当校へ入学させる事となりました。頑張って、そして学生生活を楽しんでください。」

と言われました。

 

そこで、また号泣。本当に本当に面接官の温かさには感動しました。

見捨てずに見てくれていた母親、別居していたとはいえ、たまに食事に誘ってくれてプレッシャーを与えながらも気持ちを奮い立たせてくれた父親、

そして私にチャンスをくれた高校の先生、多くの人に支えられて合格となりました。

 

 入学式

そして4月、桜の花びらが舞う中、

高校入学式を迎えました。

そこには別居中の父親も来てくれました。

そして不登校時期~浪人時代、常に私を支えてくれた母親もいました。

 

さすがに入学式の時は私は泣きませんでした。やっとの思いで入学できた高校で楽しく過ごすぞ!という希望しかありませんでした。

しかし、母親は号泣していました。今思えば、不登校~浪人している間、母親は相当辛かったと思います。

私に弱音一つ言わず、女で一つで私に愛情かけて接してくれました。私も現在シングルファザーとして子供を持つ身です。当時の母親がどれだけ大変だったか想像できます。

本当に感謝の気持ちで一杯です。

 

桜の花びらが舞い散る中、笑顔と涙が入り混じった、、そんな入学式でした。

 

そこからは、中学時代楽しめなかった分を取り返そうと部活に入りレギュラーとなって県でベスト8まで進みました。存分に高校生活を楽しんだ後、大学へ進学し、無事に現在は社会人&父親として奮闘しています。

 

と、、こんな人生を送ってきました。

ちゃんちゃん。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました♪